コンスタンティノープル ~波乱の歴史を物語るアヤソフィア~

ギリシャの人は未だイスタンブールの事をConstantinopolisと呼ぶと聞いたのはギリシャ北部の街カヴァラでだった。
その後、生け花教室で他の生徒さんに『先週コンスタティノープルへ行って来たのよ!』と言ってお土産をもらった時、
あぁ~本当にコンスタンティノープルって言うんだ~と思った。
コンスタティノスの町=コンスタンティノーポリス

istanbul

ローマ帝国が西と東に分裂し、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の首都となったコンスタティノープル、

そこに建てられたのがビザンチン建築の最高傑作と言われたアヤソフィア

360年に建てられて以来、火事や反乱で崩壊、地震、他数々の災難

聖像破壊運動でモザイク装飾が破壊されたり、第4次十字軍による略奪等

そしてビザンチン時代が衰退していく・・・・・

そして、そして1453年オスマン・トルコ帝国によるコンスタンティノープルの崩壊後

マハメッド2世が真っ先に訪れたのが、ここアヤソフィアで

ここをモスクに改装するように命じたのだそう。

大聖堂の周りに礼拝を呼び掛ける為の塔ミナレットが建てられ、
偶像崇拝を禁じてるイスラムの教え通り、

金色のまばゆいモザイクは漆喰でぬりかためられてしまった。

時は流れ共和国となったトルコ。アタテュク大統領はアヤソフィアを博物館として開放!
漆喰が取り除かれてモザイクが蘇ったのその後の事なんだそう。
ヴァチカンのサン・ピエトロ、ミラノのドゥオモ、ロンドンのセント・ポールに次いで4番目に大きいこの大聖堂。
修復を重ねてはいるけど6世紀の建物ってスゴイ!!

聖堂の真ん中に立って、何度もアラビア文字が書かれた円盤、聖母を見上げてみた。

ギリシャ正教とイスラムが一緒になった不思議な空間・・・・

陽が落ちてライトアップされたアヤソフィアはどこか妖しげに見えた。

ギリシャ正教徒ではないけど、今ギリシャに住みギリシャ正教の教会がいつも身近にあって
何度と見てるビザンチン美術、
この大聖堂に来てギリシャ人の心の故郷と言うものが少しだけ感じられた様な気がする。(気がするだけね!)
だから今日のタイトルもイスタンブールではなく、敢えてコンスタンティノープルにしてみた・・・・・

昼間は行列が出来ていたけども、閉まる1時前には列もなくスンナリと入れた!

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