アルカラ デ エナーレスの旧ユダヤ人街、マヨール通り

アルカラ デ エナーレスの旧ユダヤ人街、マヨール通り

古代のローマ時代からあったアルカラ デ エナーレス、
12世紀に砦(Al-Qal’at)が築かれ、これが現在の街の名前になったとwikiにはあった。

アルカラデエナーレスは世界最初の大学都市として知られるていると同時に
ドンキホーテの作者セルバンテスの生まれ故郷としても知られているのだそう。←私は知らなかったのね・・・・・

マヨール通りをあるいていると、それだとすぐに分かった。

あらすじはなんとなく知っているけどちゃんと本を読んだことのない私。やはり子供の頃に沢山本を読んでおけば良かったと思う・・・・

彼の生まれた家が今はミュージアムになっている。

セルバンテスと言えば、ギリシャに住んでたいた頃、コリンティアコス湾沿いの街ナフパクトスに行った時の事を思いだした。そこにもセルバントスの銅像があったのだ。↓
レパントの海戦が近くであったナフパクトスは小さな港町

このアルカラデエナーレスがカスティーリャ王国に征服された時にキリスト教徒街、ユダヤ人街、アラブ人街が出来て、15世紀にユダヤ人が追放されても街の構造は残り、大学都市として使われるようになったそうだ。

そのユダヤ人街の名残があることがマヨール通りに見られた。

青い部分がユダヤ人街だったみたい。歩いていると通りにはシナゴークの跡もあった。

壁に窓枠の装飾ペイントがあった建物。

ここの通りの雨樋から延びているパイプの先が全てドラゴンの頭みたいになっていてカッコイイ

マヨール通りに可愛いカフェがあった。

中も外も南仏風のデコレーション

誰もいなかったので、心置きなく写真を撮らせてもらった。

La Rollerie。可愛いしゆっくりできるから、アルカラ デ エナーレスに来たなら午後茶にお勧め!

そうそう、写真奥にパラドールの朝食でも出ていたマドリードのドーナッツことRosquillas Tontas(ロスキージャス トンタス)を食べようと思っていてすっかり忘れていて、それだけ心残り・・・・・泣

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